絵を描くことから始まる、自分の時間〈月光荘画材店〉
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東京銀座の⽉光荘は⼤正6年(1917年)創業の画材店。置いてあるものは絵具も⽊炭も筆も全てオリジナル。画材の枠を超えた便箋封筒や、コーヒーカップ、アトリエコートにも独特の美意識が宿る。画材店にとどまらないお店作りの精神を3代⽬⽉光荘主⼈の⽇⽐康造さんに伺った。
まずは創業の話から。時は⼤正元年、富⼭から上京した橋本兵蔵⻘年、のちの「⽉光荘おじさん」は、歌⼈の与謝野晶⼦・鉄幹夫妻と知り合い、彼らの元で芸術家らと親交を深めていく。そして、持ち前の美や⾊への関⼼と、命を削って制作に取り組む絵描きたちの⼒になりたいとの想いから、絵具の輸⼊を始めた。絵具の開発にも⼼⾎を注ぎ 、1940年には純国産第⼀号の絵具を、1960年には世界で「⽉光荘ピンク」と呼ばれる新⾊を創造した。今もJR上野駅の中央改札にある猪熊弦⼀郎の壁画に、その絵具の輝きを⾒ることができる。
そんな⽗の跡を継いだのが、月光荘おじさんの娘にあたる2代目の日比ななせさん。2017年の創業100周年のタイミングで、康造さんが3代目として引き継いだ。この歴史あるお店を継ぐことは⼤変な重責だった。
「3代⽬」や「100年」という記号に押しつぶされそうで、銀座が近づくと喉が詰まり唾が飲み込めないこともあったほど。しかし、もがき続けた末に、主語は「⾃分」ではなく「⽉光荘」だと気づいたという。
そんな⽗の跡を継いだのが、月光荘おじさんの娘にあたる2代目の日比ななせさん。2017年の創業100周年のタイミングで、康造さんが3代目として引き継いだ。この歴史あるお店を継ぐことは⼤変な重責だった。
「3代⽬」や「100年」という記号に押しつぶされそうで、銀座が近づくと喉が詰まり唾が飲み込めないこともあったほど。しかし、もがき続けた末に、主語は「⾃分」ではなく「⽉光荘」だと気づいたという。
お店を作る時に考えるのは、⾃分がどうしたいかではなく、⽉光荘が「お客様にどんな気持ちになってもらいたいか」という、内側にある感情がスタートでありゴール。それを解像度⾼く想像すると、お店の中⾝はおのずと⾒えてくる。例えば、「⽉光荘サロン ⽉のはなれ」の場合。ある夏の間、康造さんは後に月のはなれの店舗となる画材倉庫の段ボールの⼭の中でこの場所はどうなりたいのかを⼀⼼に思い描いていた。すると、⼈の話し声や床を踏む⾜⾳、⽣演奏が聞こえ、バーカウンターでお酒を飲むお客様の姿が⾒えてきた。それを形にした。倉庫の天井を取っ払い、外と中の仕切りはアコーディオンのガラス扉で開閉⾃由に。梯⼦を登ると銀座の空を独占できる。「ここでお酒を飲んだり、ご飯を食べたり、それだけじゃなくビジネスや男女がお互いを口説きあったりね。それって大事なことじゃない?」。わざわざここに通いたくなるのは「そこに⼼の動きがあるから」。満たしたいのはお腹ではなく⼼。必ずどこかに⾳楽やエンターテインメントがあるのは、⾃らがミュージシャンでもある康造さんらしい。あまりに鮮やかにイメージしたので、康造さんは時々思う。
「あれ、これはあの時の想像だっけ? それともリアル?」
「今こそ絵を描こう」と康造さんは⾔う。どんな偉業も⼀枚のスケッチから始まる。「できるかできないかはどうでもよくて、やるかやらないか」。まっさらなところから⾃分で描くことをせずに、これとこれのどちらかを選ぶだけの楽な⽅法を選択してはいないだろうか。
⾃分の⼼象を確かめるのに⾃分と向き合いスケッチをする時間は楽ではないが、実は宝で⾃分の時間を取り戻すのに必要なことだという。
画材店である⽉光荘が「⽉のはなれ」を開いた時にその理由をよく問われたそう。康造さんには⾒えているのだが、理屈ではない部分も多い。ただ、確かなのは、⽉光荘は画材店だからと思考停⽌になってはいけないということ。「その時代に⼀番必要な、この⼀回の⼈⽣を美しく豊かに暮らせるものは何かってことに素直に応えていくのが⽉光荘」と康造さん。「うちの爺さんが今の時代に⽣きていたら、よし、今から絵具屋をはじめようなんて絶対に思わないと思うんだよね」。その時々で⽉光荘だからこその品揃えや美意識で⼈々が過ごす時間もデザインできたら。願わくば、10年後20年後に「⽉光荘ってもともとは絵具屋だったんだって?」と⾔われたい。
「あれ、これはあの時の想像だっけ? それともリアル?」
「今こそ絵を描こう」と康造さんは⾔う。どんな偉業も⼀枚のスケッチから始まる。「できるかできないかはどうでもよくて、やるかやらないか」。まっさらなところから⾃分で描くことをせずに、これとこれのどちらかを選ぶだけの楽な⽅法を選択してはいないだろうか。
⾃分の⼼象を確かめるのに⾃分と向き合いスケッチをする時間は楽ではないが、実は宝で⾃分の時間を取り戻すのに必要なことだという。
画材店である⽉光荘が「⽉のはなれ」を開いた時にその理由をよく問われたそう。康造さんには⾒えているのだが、理屈ではない部分も多い。ただ、確かなのは、⽉光荘は画材店だからと思考停⽌になってはいけないということ。「その時代に⼀番必要な、この⼀回の⼈⽣を美しく豊かに暮らせるものは何かってことに素直に応えていくのが⽉光荘」と康造さん。「うちの爺さんが今の時代に⽣きていたら、よし、今から絵具屋をはじめようなんて絶対に思わないと思うんだよね」。その時々で⽉光荘だからこその品揃えや美意識で⼈々が過ごす時間もデザインできたら。願わくば、10年後20年後に「⽉光荘ってもともとは絵具屋だったんだって?」と⾔われたい。
さらに康造さんは「これからの時代の本当の贅沢は、大切に育まれた才能や、丁寧に時間を使って作られたものを、自分ならではの感性を使いつつ暮らしの中に取り⼊れていくことだと思うんだ」とも。
今夏発売した「パレットローファー」は、⽇本が誇る世界⼀の靴磨き職⼈と靴職⼈と⽉光荘が組んで制作した。ヌメ⾰で作られた靴にオリジナルの靴クリームとブラシとナイフで⾊付けし、世界にただ⼀つの靴を楽しめる。「感性を⾝に纏い、⾃分⾊で歩くことって素敵じゃない?」と⾔うその⾜元にもパレットローファーが。他にも⽉光荘は業界を超えてさまざまなコラボレーションを企画中。まだ⾒ぬ何かに出会うため、康造さんは旅するように街へ出て⾏く。
今夏発売した「パレットローファー」は、⽇本が誇る世界⼀の靴磨き職⼈と靴職⼈と⽉光荘が組んで制作した。ヌメ⾰で作られた靴にオリジナルの靴クリームとブラシとナイフで⾊付けし、世界にただ⼀つの靴を楽しめる。「感性を⾝に纏い、⾃分⾊で歩くことって素敵じゃない?」と⾔うその⾜元にもパレットローファーが。他にも⽉光荘は業界を超えてさまざまなコラボレーションを企画中。まだ⾒ぬ何かに出会うため、康造さんは旅するように街へ出て⾏く。
後⽇、埼⽟県三芳町の絵具⼯場を再⽣した「⽉光荘ファルべ」を訪れた。外と店内のスピーカーから流れる⾳に時差の継ぎ⽬が出ないように、1,000分の3秒、⾳をずらしたのは康造さんのこだわり。「お客様は気づかないと思うけど、きっとどこかに作⽤するだろうと思って」。ガラス越しに⾒える絵具⼯場では、黙々と機械に向かい⾊を練るひとりの絵具職⼈の姿があった。
表現したい気持ちにぴったりな⾊が存在するのは、どんなに幸せなことだろう。未来は⾃分が描くもの。描きたい気持ちを⽉光荘が思い出させてくれた。
表現したい気持ちにぴったりな⾊が存在するのは、どんなに幸せなことだろう。未来は⾃分が描くもの。描きたい気持ちを⽉光荘が思い出させてくれた。
(写真と文 篠田英美)