命日

本日、4月16日は、私の母の命日です。

母は私が大学生の時に乳がんが分かり、以後10年間、戦い続けた人でした。母の泣き言はほとんど聞いたことがありません。
不安だとか、怖いとか、そんな愚痴は全く言わなかった。後で聞いたら「そんな事を言ったら私が耐えられないと思って、とても言えなかった」と言われました。私は、医療に対しての理想、薬剤師としての理想を持っていますが、人間としては非常に医療には向かない人の様です。両親共に元気でいてほしかった。いつまでも変わらずに、、、です。

父もそんな母を見ていたからか、自らの病と戦おうとしていました。二人とも、最後まで、そして、もう今の医療では術がないというところまで、必死に戦って生きた。

私は、両親の闘病中、ほこれる事は何1つできなかった。それでも母が戦っていた時は、喜んでもらえることをしたいと思っていたし、そういう話ばかりをしていた気がします。周りから見れば、病の母にさらに孫の世話という苦労を強いている様に見えたかもしれません。でも、私の気持ちは違った。母は子供が好きでした。だから、私にできることは、私の子供達と少しでも長く一緒の時間を過ごしてもらうことだけでした。子供達は小さかったので、母と過ごした時間は覚えていませんが、子供達が小さかったからこそ、それしかできなかったなと今思います。たったそれしかできなかったけど、母の時はもう十分戦ったという想いが私にもあったので、「笑顔でいて欲しい」とだけ思っていた気がします。

父は戦うことさえ許されなかった。もっともっと戦ってほしかった。戦うことさえ許されないのかと病の猛威を恨みもしたし、悔しくて仕方有りませんでした。

戦うことが許されない人もいます。だから、まだ戦う術があるうちはあきらめずに戦って欲しいと思います。そして、一日、一時間、一分、一秒でも長く生きて欲しいと願う。私がお店で出逢うどの患者さんに対しても、、、、です。


笑顔でいてもらうことは難しい。。。
自分が笑顔でいることも難しい。。。
笑顔で帰ってもらうことはもっともっと難しい。。。

明日もひまわりの笑顔、忘れずにいようと思います。