今月の薬膳;「 家康を助けた 佃煮 」
天正十年(1582)、「本能寺の変」がおこったとき、徳川家康は堺見物を楽しんでいましたが、そこへ明智光秀謀反の報せが届きます。
家康一行は、急ぎ三河へ帰る事になりましたが、あいにく船がありません。困っていた家康一団に、いち早く船を提供したのが、摂津国「佃村」の漁師達でした。漁師達からは船だけでなく、「小魚煮」も道中食として提供し、それらを食べながら、家康達は必死の伊賀越えを慣行していきました。
それから二十年後、家康は江戸に幕府を開いた時、佃村の領民34人を江戸に呼び寄せ、土地を与え(のちの佃島)将軍家に新鮮な魚を納める仕事を与えます。
その後、それまで単なる塩茹でだった小魚煮が、下総方面から入ってくる醤油で煮られる様になり、現在の「佃煮(つくだに)」となりました。