「現在は過去と未来との間に画した一線である。この線上に生活がなくては、生活はどこにもないのである」森鴎外

おはようございます。2014年4月2日(水)感謝の朝です。有難うございます。今日も一日宜しくお願い致します。+580「現在は過去と未来との間に画した一線である。この線上に生活がなくては、生活はどこにもないのである」森鴎外

「舞姫」で文豪デビューを飾った明治の文豪・森鴎外「雁」「高瀬舟」などの代表作があり、日本文学に深く名を刻み込んでいる。彼はいわゆる専業作家ではなく東京大学医学部を卒業し、陸軍の軍医となった。その後、執筆活動で名を馳せても医師を辞めることはなく、陸軍軍医総監かつ陸軍省医務局長という最高の地位まで上り詰めた。幼い彼に英才教育を施したのが母の峰子である。彼の勉強を監督するために自ら漢文を学び、成績が良くても「決して慢心してはなりません」と戒めた。母の熱心な教育が実り、医師と文豪という二足のわらじを履いた彼の多忙は言うまでもないが、子どもとの時間もおろそかにしなかった。入省して半年後の6月、衛生学を修めるとともにドイツ陸軍の衛生制度を調べるため、ドイツ留学を命じられた。最初の1年を過ごしたライプツィヒ(1884年11月22日–翌年10月11日)で、生活に慣れていない鷗外を助けたのが、昼食と夜食をとっていたフォーゲル家の人達であった[14]。また、黒衣の女性ルチウスなど下宿人たちとも親しくつきあい、ライプツィヒ大学ではホフマンなど良き師と同僚に恵まれた。演習を観るために訪れたザクセン王国の首都ドレスデンでは、ドレスデン美術館のアルテ・マイスター絵画館にも行き、ラファエロの「システィーナの聖母」を鑑賞し、4年のドイツ留学を終えて帰国。この考えが、確立したのです。ですから、本業を終えて帰宅すると、執筆活動の前に子ども達に本を読んで聞かせる。そんな子煩悩な一面を持っていた。「今は、仕事が忙しい。この山を越えたら・・・・」とつい考えがちだが、そうこうしているうちに人生は終わる。仕事を理由にプライベートが疎かになっているときは、この鷗外の言葉を思い出していただきたい。

今日の一日が皆様にとりまして素敵な時間となりますように( ´ ▽ ` )