死者との向き合い方

宗教的儀式には価値がある。しかし儀式は手段に過ぎず、目的ではない。死者たちは私たちが生きている限り、死んではいない。彼らは考え、語り、行動し、助言し非難することができる。しかし、それに耳を傾けなければ、声は聞こえない。彼らは、私達の生を通して、自分が望んだことが豊かに展開して欲しいと願っている。アラン

おはようございます。2014年9月5日(金)感謝の朝です。ありがとうございます。今日も宜しくお願い致します。+705

人は誰しもいつかは、愛する人と別離を経験します。それはまるで、愛する人と列車に一緒に乗っているが、終着駅がそれぞれ違う旅のようなものです。

いつかは降りなければならないが、その駅がどこにあるのかは誰も知りません。

愛する人の終着駅となってその人が降りると、あなたはもう会うことができません。残っているのは、その人についての記憶だけです。別離が悲しくていくら泣いても、降りた人を忘れまいと儀式をしても、もう降りた人はそれを知ることはありません。あなたが死者のために何をしても、死者のためにはなりません。

だから死者のために悲しんだり、盛大な儀式を行うことは死者のためにも良いことではありません。

列車から降りてしまった人が望むことは、自分が乗っていた時にしたかったことを、あなたが引き継いでくれることです。それは家族の幸せかもしれないし、仕事の成功かもしれません。

あなたの終着駅について降りるとき、あなたが列車に乗っている家族に何を望むか、考えてみればいい。死者が何を望んでいるかを理解できるはずです。

今日の一日が皆様にとりまして素敵な時間となりますように(^-^)