知るということ

毎日、暗いニュースばかり。
見たくなかった、知りたくもなかった話題に触れては、悲しみ、怒り、不安になる。
いっそのこと、耳をふさぎ、目を背けて嫌な情報を避けて生きることができたら楽なのに。
だが、知らないということは、時にひどく残酷なことである。

数日前の朝日新聞に、英国のバッキンガム宮殿前に立っている近衛兵がかぶる長くて黒いふさふさとした帽子は、クマ一頭から一個しか作れないということ。それに対して、動物愛護団体が、人工皮革の使用を求めているという記事が載っていた。
多くの方は、遠い異国の出来事として、驚きと、ひどいことだなあ程度にしか感じないかもしれない。だが、これと似たようなことは実は私たちの身近にも存在している。

秋冬ファッションの定番リアルファーがどうやって作られているかご存知だろうか。
リアルファーが、生きた動物の毛皮を剥いで作られていることをご存知の方はどれくらいいるだろうか。
死んだ動物からとっていると思っている人も多いのではないかと思う。
他の動物が見ている前で、電気ショックや暴力で動けなくなっている隙に皮を剥いでいること。
剥がされた後も、死ぬこともできずに立ち尽くしていること。
多くの犬猫の毛皮が、ラクーンやフォックスと表示を偽って市場に出回っていること。

お店できれいにかわいらしくディスプレイされていると、想像もつかない事実。直接手を下していなくても、リアルファーを身に着けることはひどい事業に加担しているのと同じことではないだろうか。一時のおしゃれの為だけに命を粗末にすることが許されるのだろうか。食べ物として命を頂くのとは話が全く別だと思う。
きっと、事実を知ってファーを身に着けている方は少ないと思う。私も、昨年ネットで偶然動画や写真を見るまでは、何も知らずにただ可愛いと思って身に着けていた一人だから。だけど、知った後ではやはりその後の行動が違ってくる。何も知らない消費者が、生み出している不幸も多いのではないだろうか。

知るということは、楽しいことばかりでない。時に、ひどく苦痛を伴う作業になるだろう。それでも、私たちは、関心を持って様々なことについて知ろうとするべきであると思う。
マザーテレサが言われていた『愛の反対は憎しみではなく無関心です』という言葉。世の中の、無関心から生み出される不幸が少しでも減っていきますように。

ちなみに、私は動物愛護団体ではない。ただの動物好きだ。(犬は特に大好き。ワンちゃん狂でワンちゃん教とでも言おうか)
人間も動物も、幸せに暮らせる世界を願って。