選択
なんとなく予想していたことが、現実に起こってしまった。
高く設定された基準値を下回っていることを理由に、汚染されたお米が市場に出回るらしい。
『1kgあたり500ベクレル』のセシウムと聞いて、素人ながらに高すぎるのでは?と感じていた。
事故以前の数値はどうだったのか、気になって調べてみると、3月11日以前は『1kgあたり0.1ベクレルという汚染もなかった』らしい。
なぜ、5000倍の数値を持て”安全”だと言い切れるのだろうか。
放射能は、これ以下なら安全というものではないはずなのに。
福島第一原発での事故直後、アメリカなど海外の国々は80km圏内から避難させたのに対し、日本は数キロ圏だった。
この違いについて聞かれた或る医師は、『人権に対する考え方の違い』と答えたらしい。
国が必死に守っているものは何だろう。
東電であり、経済であって私達の健康や命ではないでしょう。
汚染された地域のものを食べないという選択が、その地域の人々を苦しめてしまうことは理解している。
それでも、私は出来るだけ汚染されたものを避けて生活することを選択しようと思う。
我が身だけならば、お互い様の精神で汚染されたものも許容するだろうが、放射能によって遺伝子が傷つけられたことによる、次の世代への影響をチェルノブイリの事故に見ているからだ。
事故後、ベラルーシでは9割近くの赤ちゃんが何らかの異常を持って産まれてくるらしい。わずか15~20%しか正常な子が産まれないというのだ。
今放射能のことを何も気にせずに生活していて、将来子供を授かった時に、その子に心臓の欠陥が出たり、精神神経の異常や体のとんでもない奇形が出た時に、やっぱりあの時気をつけていれば良かったなどという後悔は絶対にしたくない。
次々と出てくる汚染の情報に慣れてしまったり、いっそのこと諦めて考えるのを止めてしまいたくなるけれど、気持ちを強く持って神経を研ぎ澄ませて生活していこうと思う。