ウィッシュチャイルドさんから
わたくしは、中学3年生の時にウィッシュチャイルドとしてメイク・ア・ウィッシュにお世話になりました。中学入学後、間もなく重症再生不良性貧血という病気を患いました。
その頃は、骨髄移植以外の治療法がなく骨髄ドナーの見つからなかった私は、輸血を繰り返すとともに研究的な治療を次々に受けていました。治療の効果が全く見られず、研究治療を繰り返す中でも、病状は悪化し入院して2年以上経つ頃には命をつないでいた輸血の効果も徐々に薄れてきました。
その頃には、血小板も低下し、毎朝口中の血液の塊をゆすぎ一日を迎えていました。幼いころから先天性心疾患で親や家族に迷惑をかけていた私は、毎晩翌朝が迎えられるか不安になるとともに、親に申し訳ない思いに泣き続けていました。
そんな時、メイク・ア・ウィッシュ オブ ジャパンの創立者であるスーザン・アルブライトさんが私の病室に訪れました。
彼女は病室にくるなり「あなたの夢をかなええましょう!」「夢はなんですか?」とおっしゃいました。彼女の言葉を受けて自分の夢を考えましたが、希望を持つたびに叶わず苦しんできたその頃の私は、希望を持つことを恐れ、希望も夢もありませんでした。それよりも、私ではなく夢を叶えてあげてほしい人は他にいるのではないかという思いもあり、彼女の申し出を断りました。
しかし、パワフルな彼女は「大丈夫。次は他の子の夢をかなえるので、まずはあなたの夢をかなえたいの!」と目を輝かせながらおっしゃいました。そのパワーと彼女の暖かい雰囲気に私は改めて夢を考え始めました。そして、毎日CDを聞いて勇気づけられていたアーティストのコンサートに行ってみないな、と思い彼女に伝えました。
彼女は明日にでもかなえる勢いで受けて帰りました。しかし、正直なところ、抵抗力も低く病室から出ることも困難な私がコンサートに行くのは不可能だろうなと思っていました。しかし、彼女は病室に来るたびに「10月の北海道のコンサートに行くわよ!」「コンサートのチケットがとれたわよ!」と現実に私の夢が進行していっていることを伝えてくれました。
全くというほど信じていなかった私は、徐々に「行けたらなという希望から、行きたい!という希望へ変わっていきました。その時私は厚い雲に覆われた暗い世界から、一筋の光が入ってきたことを今でも覚えています。
治療法のなかった私は、自分の骨髄を思い浮かべ骨髄液が増えていくイメージを毎晩毎晩繰り返し、コンサートを楽しみに過ごすようになりました。それが功をそうしたのか、毎日続けていた輸血の間隔が徐々に増えてきてコンサートに行く日には2週間ほどの間隔にまで伸びていました。血液の数値が良くなってきたため、同行する予定だったドクターもつかずに北海道まで行きました。
後日、私の命は一か月もつかどうかという状態であったためにコンサートツアーの幕開けである北海道へ旅立ったことを知りました。
北海道での3日間は本当に夢の世界にいるようにあっという間の日々でした。理事長である八木さんをふくめスタッフの皆様にも温かく迎えていただいて、コンサートも夢のようで、夢の続きのように直接そのアーティストにも会うことができ、本当に幸せな瞬間でした。
北海道から帰った私は、次の希望を持ち前向きに入院生活を送るようになりました。その後奇跡が起こりました。担当医から「骨髄液の数値が上昇してきた」という報告を受け、なんと北海道に行った2か月後には退院することができたのです。
死と直面していた生活から一転、病気が治ったと聞いたときに私は「自分はこの体験を活かしていくために命をもらったのだ」と思い、次の夢「養護学校の先生になろう!」と心に決めました。
夢かない、現在千葉県で特別支援学校の教師をしています。そして、人生を共に歩む主人に出合い、自分でも奇跡と思えるほど元気な子どもを出産することができました。
メイク・ア・ウィッシュに出合えたからこそ、今の私があります。私にとってメイク・ア・ウィッシュは夢をかなえるというだけではなく、「前に向かう気持ちの大切さ」、「信じることが力になるという想い」を伝えてくれる希望の光であると思っています。
今後も、希望の光として闘病生活を送る多くの子どもたちを照らしていってほしいと願っています。
Make-A-Wishの募金活動をしています
「Make-A-Wish」とは、3歳から18歳未満の難病と闘っている子どもたちの夢をかなえ生きる力や病気と闘う勇気を持ってもらいたいと願って設立された世界的なボランティア団体です。
私たちはこの活動に賛同し、薬局内に募金箱を設置して「Make-A-Wish」を支援しています。