東日本大震災薬剤師ボランティア派遣参加
東日本大震災薬剤師ボランティアに参加しました。
活動報告を掲載いたします。
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東日本大震災薬剤師ボランティア派遣参加活動報告書
派遣期間 4月29日~5月2日
金沢駅前はあと薬局 赤丸邦夫
-4月29日-
7時00分
金沢出発。
14時50分
宮城県薬剤師会着。
宮城県薬の瀬戸先生より宮城県の医療チーム内・宮城県薬剤師会の薬剤師班としての活動・任務の説明を受ける。
17時30分
石巻高校着。
21時ごろ
ミーティング終了。
その後新潟県・山形県・山口県・千葉県などの薬剤師の方々と意見・情報交換。
23時すぎ
会議室にて就寝。
昨日は被災されて亡くなった方々の49日の法要が行われました、合掌。
4月30日から5月1日まで
担当の派遣先は女川総合体育館救護所となる。
2日間の活動内容
6時45分
ミーティングの後すぐ出発(途中の渋滞・冠水にあわないため)
8時00分
女川町立病院にて必須の薬剤の補充を行ない、救護所着。
8時30分
医療関係者の全体ミーティングを行う。
1)他のチームより薬剤師班に、よい止め薬の要望と薬剤服用者の注意点の確認。
2)保健婦さんより、総合ビタミン剤をすべての避難者に渡して良いか、の問いの他・別メーカーのビタミン剤が混在しており、ビタミンK配合のものはワーファリン服用患者さんには提供しないようアドバイスを行う。
このミーティング会議は
宮城県保健婦さんが中心となり診療・往診・在宅訪問・心のケア・理学療法・健康相談・栄養・感染対策の各チームが当日の活動内容と前日の問題点を的確に把握し合う会議で、我々薬剤師班も参加して相互に情報交換をできたことは医療チームの一員としての薬剤師の必要性を感じられ、非常に有意義に思いました。
9時00分
診察開始 鳥取大学病院医師1名 井澤Dr(専門は循環器・糖尿)薬剤師班2名
手書きカルテで調剤・投薬・服薬指導を行う。専用の災害緊急用薬袋とお薬手帳に同じ内容を記載する。
これは忙しい時には作業の効率が低下すると感じました。
空いた時間には備蓄薬品の在庫整理と・最低限必要薬剤のDrと打ち合わせを行ない在庫管理の把握に努める。
16時
診察終了。
患者さんは高血圧・アレルギーの方が多く、風邪・不眠症・ケガ・便秘の順でした。
中にはこの震災により、被災地では海からのいろんな汚泥や生ゴミの腐臭・ガレキ粉塵がすごく、この影響で鼻炎を発症した患者さんが多々あり、また震災から血圧上昇、内服開始・薬も増量となった方もおり、この背景には食生活が不規則で、日中は被災した自宅の整理・ガレキの処理をして夕方には配給食およびお酒を飲む毎日との事、やはり帰れる自宅・家庭がないと病気は改善しない 家庭環境・衛生環境の重要性を感じました。
一日も早い復興と復帰を願うばかりです。。
患者数は2日間で計41名 震災直後の第1日目の150名からみると激減してました。慢性疾患の方には町立病院や他院へ紹介しており、在庫薬剤もできるだけ縮小するように努め終息の状況下で、後は地元医師に任せるとのこと、ここでの我々の役割は任務完了と感じました。
17時すぎ
石巻高校着
途中車体の下まで冠水に遭い・数百m続く。
ミーティング・活動報告の後新しく入ってきた北海道・沖縄・名古屋・福岡の各県の薬剤師の方々と意見情報交換行う。
23時00分
就寝。
5月2日
8時00分
石巻高校出発
16時00分
石川県薬剤師会着。
ボランティアの任務完了。
ミニバンのレンタカー 走行距離 1400キロでした。
車はよく走りましたが、仙台・石巻は非常に近くに感じました。同行していただいた川岸先生をはじめ、準備に労を尽くしていただいた薬剤師会の事務局の皆様またこの機会を作っていただいた方々には感謝いたします。
ありがとうございました。
最後に市内一望見渡せる日和山公園にて被災された後に掲げられた一文がありました。医療人の一員としてまた医療の倫理観の参考になるのではないでしょうか。
石巻市民憲章
まもりたいものがある
それは 生命(いのち)のいとなみ
豊かな自然
つたえたいものがある
それは 先人の知恵
郷土のほこり
たいせつにしたいものがある
それは 人の絆(きずな)
感謝のこころ
わたしたちは 石巻でいきてゆく
共につくろう 輝く未来
(原文そのまま)
この勇気と希望を持たせる力強い一文が、復興に向けて市内を見守っていました。