災害派遣報告パート2 Day4

朝から今日も雨。6時15分、いつものようにホテルを出発、8時30分に湊小学校到着。昨日からの雨で運動場はドロドロ。ハイエースから荷物を下ろし、家庭科室の診療所に運び込み。9時15分、診察開始。今日の診察は少し慣れたのか時間がゆっくり流れる。口唇ヘルペスの患者さんが2人、風邪の咳・腰痛・便秘など。今日の昼で5週間エリア7のリーダーであった藤沢湘南台病院チームが帰還、日赤の長崎原爆記念病院チームに引き継ぎ。

12時、診察終了。我々のベースキャンプであるいつものコンビニでトイレと昼食。湊小学校ではトイレの水がまだ完全には復旧せず、ガスも復旧せず。コンビニでは少しずつ取り扱い商品が増えてきているものの、まだ空っぽの棚も目立つ。

午後も湊小学校での診察。午後の診察も小学校での診察チームが3チームあり、時間の余裕ができ、救急カバンの中とハイエースの荷台にある医療材料の整理。4人の診察と提出書類の作成。16時、最後の診察終了。後続隊との引き継ぎのために石巻赤十字へ。その途中、被害の最も大きかったエリア6の石巻港近くを通る。『ひどい』としか表現できない。ハリケーンがきたかの如く、見渡す限り瓦礫の平原が続く。

17時20分、後続隊と打ち合わせ、18時から本部での全体ミーティング、その後外来待合いでのエリアミーティング。それが終わり、後続隊との引き継ぎの継続。カーナビの使い方・ガソリンタンクの開け方・ガソリンの種類・サイドブレーキの解除方法と積み荷の説明。室内は泥だらけ。

19時30分、大雨の中、東京からのハイヤーに荷物を乗せ換え、石巻赤十字病院を後に。9時、菅生サービスエリアで夕食。その後、4日間の疲れが出て車の中で爆睡。深夜2時30分、東京羽田のホテルに到着。

最終日ということで石巻港周辺を通ったが、瓦礫の平原の中に『がんばろう石巻!』という看板がポツンと虚しく建っていた。石巻市民だけが頑張ってもどうすることもできない規模の自然災害。日本全体のこととしてとらえなければ、どうすることもできないと思った。その時、私の脳裏によぎったのは仙台市街の普通の街の光景。若者はラーメン屋に列を作り、仕事帰りのサラリーマンは居酒屋へ。そのギャップが激しすぎる。