一般の人のための薬学講座
「薬をむやみに信じるな。しかし、むやみに怖がるな。」
「根拠の薄い甘い言葉で勧められる物は、断る勇気を持とう。」
「薬や病気に対する正確な知識を深めることと、自分のからだの異変や変化を感じ取り、それを正確に表現する努力をすることが、より良い治療、副作用の防止、自然治癒力の発現に役立ち、ひいては健康を維持することにつながる。」「専門家のアドバイスをもらいながら、勉強しましょう。」・・・以上は、学校での薬学講座の結びです。
学校薬剤師として、長年、北浜中学校で薬学講座を担当していました。(以前は、麁玉中学や浜名高校でも。)
多くは、覚せい剤乱用防止や、タバコや飲酒の害、脱法ハーブや輸入健康食品の害などの話をしてきました。昔はシンナーや有機溶剤の害の話も・・・。
その中で、くすりの本質論(薬の効果や副作用の考え方、用法用量の考え方、自然治癒力とくすり、薬が必要な時とは・・・。)は、中学生というよりも、本当はその親の世代、祖父母の世代こそ知っておいて欲しいと思えることです。
安易に、「薬又はくすりのような物」に頼る人がどんなに多いことか・・・。日本人の薬好き(ここでいう薬とは、からだに何か良いかもしれないという効能を期待して用いるものすべて。特に高齢者は薬好きな人が多い)にはあきれてしまいます。
くすりが、本質的には体にとって異物であること、必要悪であることを、本当に理解していれば、むやみに薬を欲しがったりしないはずです。自分の状態をよく考えずに、安易に薬など(多くはピントはずれだったり不必要な薬、無意味な○○療法、ネット情報)に頼ることで、本当に必要な薬又は治療法や養生法にたどり着かず、かえって悪化させているという笑えない話も多々あるのです・・・。
1.自然治癒力
生命体には自然治癒力がある。恒常性を保とうとしている。
言い換えるならば、常に外部からの攻撃や、内部の変化に対して、
元に戻そうとする修復力がある。
そのためほとんどの場合、自ら症状を悪化させるようなことさえしなければ、放置していても治る。
けがや手術の傷口は、化膿させなければ自然に修復される。
(くすりを塗ったからでも、糸で縫ったからでもない)
かぜやインフルエンザも、体の免疫システムを邪魔しさえしなければ、ほとんどの場合、3~5日で自然回復する。
(もちろん、その間の発熱や水分塩分栄養補給や休息は大切)
薬は、自然治癒を少し早めるための一つの手段に過ぎない。早く治そうとして、間違った治療法や薬を用いると、かえって長引く。
逆に考えると、たかがすり傷,たかがカゼで、10日以上もかかるのは、その間の養生法ができていなかったか、くすりの選択が間違っていたか、その両方が合わさっている場合がほとんどだということ。
「くすり」だけに頼っていては、治らないことも多い。
大切なのは、自分の自然治癒力を最大限に発揮させるに、自分はどうしたらよいかを、いつも考えること。そして、適切な助言をもらえる人を見つけること。
2.くすりの効果
1.診断が正しくても、全員に効く薬はない。
2.薬を渡す方の認識と、服用する方の認識にはギャップがある。
薬剤師
「70%の人には効くはず。30%の人には効かないけど、あなたには効くといいね。」
服用する人
「先生が70%効くと言ったから、全く効かないってことはないはず。そこそこ効くはずだ。症状の7割は消えるはずだ。」
本当は、服用する人にとっては、「効いた」か「効かない」のどちらかしかない。100%か0%かということ。そこそこ効いてるという感覚は、「量を増やせばしっかり効く状態なのか?それとも、薬とは無関係に自然に治っている過程なのか?」と、常に疑ってかかれば、正しく効くか効かないか認識できるようになる。
因果関係と経時変化をしっかり区別しよう。
「くすりを使ったから」治ったのか、「くすりを使った後」治ったのかは違う。「くすりを使った後治った」というのは、くすりを使わなくとも治った可能性があるということ。
多くの人は、特に風邪などの場合、治る直前に用いた薬を「良く効いた。」というが、それ以前の薬も、成分的には大差ないことが多い。
つまり、経時的に考えて、治る頃に用いた薬を良く効く薬と思い込む傾向がある。
3.副作用
副作用のない薬はない
(期待したちょうど良い効果以外はすべて副作用と考える)
薬は、からだに入ってから、いろいろなところで働き、分解され、そして分解産物がまた何らかの働きをして、からだの外へ出ていく。
副作用は、大きく分けて以下の4分類
1.薬が持っている主作用が強く出すぎている。
2.薬が持っている目的とする以外の効能が強く出すぎている。
3.体の免疫が薬に対して過剰に反応する。(アレルギー)
4.薬を分解したり外へ出したりする臓器(肝臓や腎臓など)が機能低下をおこす。
副作用もまた、渡す方の認識と服用する方の認識にはギャップがある。
薬剤師
10人に1人の副作用(10%)だから、かなり高い確率で出る。出たらどうするかまで、しっかり説明しておこう。
患者
10人に1人なら、「10中8~9出ない。気にしないでおこう。」又は、
「10人に1人って言ってたのに、かなり高い確率とも言った。いったいどっち?私に出るかどうかを知りたいのに!」
薬剤師
10万人に1人の副作用(0.001%)が出た。中止して適切な治療をすべきだ。
副作用が出た人
とんでもない強い薬を出された。こんな副作用が「私に出る」なんて聞いてない。ほとんど可能性はないと言ってた。
副作用が「有るか、無いか」ではなく「出るか、出ないか」、「強いか弱いか」ではなく「出る可能性が10%くらいと多いが薬を止めるまでもないものか、0.1%以下と出る可能性は稀ではあるが薬をすぐ中止すべきもの」というように考えるべき。
副作用が出た時、どうするかが重要。
1.2.のように薬の効果そのものの話なら、投与前に想像できる。効きすぎたらどうなるか、考えられる別の効能は何か、その場合どうしたらよいか尋ねるとよい。3.のアレルギー的なものは服用してみないとわからないが、一般的なアレルギーと同じような考え方でよい。(蜂のショック、そばの喘息。ジンマシン)4.は受診時に定期的に検査していれば早期に発見できる可能性が高い。とはいえ、長期服用するリスクは常に存在する。
もちろん、薬を使わなければ副作用の心配は「0」です。
副作用に関しても、因果関係と経時変化をしっかり区別しよう。
「くすりを使ったから」悪くなったのか、「くすりを使った後」悪くなったのかは違う。「くすりを使った後、悪くなった」というのは、くすりを使わなくとも悪くなった可能性もかなりあるということ。
帰宅してから他の人に副作用の話を聞いたり、自分で薬情の注意事項を読んだ後、次の来局日に「この薬を飲むと○○になるんだってねえ。こわくて飲めなかった。」と言う人が、今でも時々有ります。
正しい理解までは、ほど遠いと感じる瞬間です。
4.テレビにダマされるな(洗脳されるな)
TVで放送したからといって、すべてが正しいとか、すべての人にあてはまるということはない。冷静に見てほしい。
多くは、ある限定条件下での結論を、すべての人が当てはまるかのようにとりあげている。
健康食品のCMの場合、画面上に「すべての人にあてはまるわけではない。」とか「個人の感想です」と、小さく書いてはあるが、まず気が付かない。
気が付いても、「たまには、あてはまらない人もいるんだ。」と思っている人が多い。
しかし、本来の意味は、「効果が出たと思っている人もいることはいる。しかし、健康食品なんだから効果が無くてもいいんです。効果が無くても責任は持ちませんよ。」ということ。
一般用医薬品のCMで、「医療用の○○を初めて配合」とか「1日2回で効く」とかいうのは、本当の意味は「他社で使っていた○○を、当社としては初めて配合したから、もしかしたら今までの当社の物よりは効くかもね!」「ゆっくり溶けるように作ったから、1日3回タイプの物より少しは長く効くよ!」ということにすぎない。
ちなみに、「のどから来たら、鼻から来たら、熱から来たら・・・。」というCMを見て、そこで宣伝しているものしか選択肢がないと思い込んだらメーカーの思うつぼ。「いろいろあるんだ。本当はもっと適切なものがあるかもしれない。薬局で相談してみよう!」というのが正しい。
報道も、大騒ぎする時ほど、「まだまだ!あせるな!」と思った方がよい。
新薬の実用化には、10年から20年かかる。新しい薬の場合、学会発表段階で取り上げるので、まだ企業化される前の段階のことが多い。「10年後に実用化されるかも・・・。」というレベルの話が多い。その後、副作用などで開発中止になることの方が多い。また、新型インフルエンザ等の報道の場合、大騒ぎして不安を煽っているだけ。不安に駆られて、パニックを起こす方が怖い。
教育番組や医療バラエティでも、限定条件付きの話と割り切ってみた方がよい。注意深く視聴していると、講師役の人は必ず「○○の場合は」とか「××の例では」というように小声で前提条件をつけている。その後、司会者やコメンテーターが大きい声で、前提条件なしで「結論」だけを述べていることに気づく。
もちろん、条件に当てはまる場合もあるので、テレビでの話は、「こうゆうこともあるんだ。」「そんな人もあるんだ。」とか「その前提条件は本当かな?」というように、斜に構えて見ていた方がよい。
このことは、インターネットで拾った情報についても同様。常に、批判的に見ることが必要。特に、「○○で××がすべて治る」みたいな、前提条件なしのものは、疑ってかかった方がよい。
健康番組で病気を怖がらせるタイプのものも多いが、皆が怖がって一斉に医療機関へ行くのも問題。むやみに怖がらず、情報は情報として受け入れ、自分なりの理解をすることが大切。
5.プラセボ効果
プラセボ効果とは、くすりと同じような形状の全く薬効のない物を「くすり」と説明されて服用した人の一定割合に、症状が改善する人が出ること。つまり、くすりを服用したと「思う」ことで出る効果のこと。どのくすりにもプラセボ効果はある。
新薬の開発の時には、二重盲検法といって、投与する医師にも、患者本人にも、本物の薬とプラセボ(本物そっくりに作った偽物の薬)のどちらを使うか知らせずに行う実験がある。プラセボ(にせ薬)よりも多くの人に効果があるものが、新しい薬と認められる。
同じようなことは、副作用があると説明を受けた薬を服用した後で出る有害事象にも当てはまる。(負のプラセボ効果)
薬の効果や副作用を考える時には、常にプラセボ効果を考えに入れなくてはならない。
薬や健康食品で儲けようと考えている人たちは、プラセボ効果を期待して、無責任に「○○に絶対効くよ。信じて続ければ絶対治るよ。」みたいなことを言っていると理解していないと、相手ペースで高価なものを買わされる羽目におちいる。
くすりを用いて症状が改善した場合、本当に薬が効いたかどうかはわからないが、とにかく治ったというのはよくある。これを分類すると下記のようになる。
1.確かに、くすりが効いて改善した。(因果関係)
2.効く薬を服用したと思ったから改善した。(プラセボ効果)
3.くすりを服用した後に薬と無関係に改善した。(自然治癒)
これらをすべて「薬のおかげで治った」などと勘違いしないこと。
「薬を用いた後に治った」と、正しく認識しよう。
6.くすりが「強い」?
「効果が強い薬は副作用も強い」と思い込んでいる人が多い。このように考えている人は、「強い薬だから胃が荒れた」「弱い薬だから副作用が無かったけど効かなかった」等と発言する。
効果と副作用はパラレルではない。別々のものとして分けて考えなければいけない。
特定の患者に、効果が十分あり副作用が出ないものを選ぶことができればベストだが、患者情報が何もない状況では、一般的な確率論で選択するしかない。結局のところ「あなたの場合は、この薬でほぼ大丈夫だと思う。」という話は、「効く確率は70%以上、軽度の副作用が出る確率は数パーセント、重度の副作用・アレルギーなどは使ってみないとわからない。」と考えるのが正しい。
また、医師や薬剤師から強いと言われた薬を、無条件に「強い薬」と思い込んでいる人が多い。(効果の話なのか副作用の話なのか比較対象は何なのか考えなければいけない)
薬剤師が「強い」という言葉を使うときは、限定された状況下で何かと比較しての強弱を言っていることが多い。
前の薬より、成分量が多いから、強い。(効果・副作用)
前の薬より、効いたから、結果的に強い。(効果)
副作用で続けられなかったから、あなたにとって強い。(副作用)
蕁麻疹がでたから、あなたにとって強い。(副作用)
前の薬より、臨床上は症状が重い人に用いことが多いから強い。(効果)
暗示の効果(プラセボ効果)を期待して、今度の薬は強い。(効果)
などなど・・・。
「強い、弱い」は相対的なものなのに、比較対象や前提条件を示さず、曖昧に用いている人が多いので、誤解を生じやすい。薬剤師としては、効果については「強い弱い」で表してもいいが、副作用に関しては、効果とはっきり分けた上で、「軽いか重いか」で表現したほうが誤解が少ない。
同じように誤解を生じやすい言葉に「害が有る」又は「害が無い」がある。
「先生が害が無いって言った。」というように無条件に害がないと信じ込んでいる人がいるが、「あなたに、今のところは、」という前提条件があることを忘れてはいけない。
薬は、それ自体が強いとか弱い物ではなく、人に用いられて効果又は副作用が生じて初めて、その人にとって強いとか弱いと言える。薬を服用する患者としての立場では、「合う」か「合わない」かと考えた方が正しく理解しやすいと思う。今の自分に合っているか合っていないかが、一番重要なのだから。
7.「養生」の大切さ
どんな病気でも症状を改善させるためには、まず第一に自然治癒力が十分な状態であることが大切になる。日常生活の工夫で自然治癒力を高め、病気の時は適切な養生で自然治癒力を発揮させる。薬だけで良くなることは少ない。薬を服用した後に、回復したということは多いが・・・。
「薬が効いた」と思っている中に、薬と無関係に症状が改善することがよくあることを理解していないと、薬を服用後、症状が改善したものをすべて、「薬のおかげ」でよくなったと勘違いする。そこから、「いい薬(健康食品含む)」さえ飲めば、養生なんて面倒なことをしなくても、症状は改善するという思い込みが発生する。この思い込みを利用して、健康関連の商売が成り立っている。
自分のからだが何を必要としているのかよく感じとりそして考え、休息し或いは運動し、保温し或いは冷却し、必要な栄養を取り或いは絶食し、必要なタイミングで薬を用いる。慢性疾患の場合は、必要な生活改善や食事改善をしながら服薬する。これら病気を治癒させるために必要な、医療(薬)以外のすべてのことを「養生」という。
このように、養生の経験を積むことで、自分流の健康法や病気回復法が見えてくる。すべてを他人(医者、薬剤師、物知りの人)任せにしていては、自分なりの養生法は見えてこない。
しっかり養生していないと、薬の選択が正しくても効かなかったり、副作用が出たりして、自分のからだはガタガタという具合になりかねない。
「養生」をしっかり心がけていれば、薬がいつまでも必要になる事は思ったより少ないし、また、薬だけでなんとかなることも、思ったより少ないことがわかってくる。
8.早めの対処
テレビ報道で言っている、早めの受診ではありません。
自分で行う、早めの「対処」です。
「風邪をひいちゃいかんから~ひいたかもしれんから」の状態で悪寒もその他の症状も何も無い段階では、適切な薬と言われても選択できない。特に、西洋医学的には「風邪かもしれない段階なら薬は、いらないね」となる。それどころか、ゆっくり休むべき時に病院で2時間以上もじっと待っていては余計に体調をくずすこともある。
いつも自分の状態に気を付けていれば、何かおかしいという段階で何もしないとどうなるか、自然経過がわかってくる。そうなれば、早い段階で、適切な助言を受けながら、適切な養生法、漢方や民間療法を試してみることで、自然経過より早く良くなる方法を見つけることが可能になる。
自分ではどうしようもないと思った段階、様子を見ていてはまずいと思えた段階で受診するのが「早めの受診」という。自分で対処できる範囲を広げることが大切。
最近は、自分では何も対処せず、すぐ受診すればいいと考えている人が多い。結果的に休日は、当番医への集中がひどくなり、本当に医療が必要な人が不当に待たされることになっている。
9.自己の責任
カネボウ化粧品の美白成分による白斑の報道で、
「信じていたのに!」という消費者の声がTVで報道されたが、
おかしいと思えた症状があっても、「信用できるメーカーだから。」とか「○○さんがいいって言ってたから。」と、自分自身で「もしかしたら化粧品が原因である可能性があるかも。相談してみよう。」と考えずに、使い続けた消費者が多いことにも問題がある。最初に考えることができるのは、消費者なのだから。たぶん、かなりの人は医療機関に受診していても、化粧品のことは医師に聞かれるまで話していないだろう。
「不具合が生じた時に、すぐ対応しなかった会社が悪い。」という人は、その言葉がそのまま、自分自身にも当てはまることを自覚しなければならない。「おかしいと思った時に、この製品を疑わなかった自分にも多少は責任がある。」と・・・。
多くの現代日本人は、老化や死は誰にでも必ず訪れると「なんとなく」認識してはいるが、それと真摯に向き合ってはいない。そのため、いつも健康(老化、病気)に漠然とした不安感を持ち、その不安の払拭手段として、医療やそれに付随するものとしての薬や健康食品などに自分の安心を求めている。
そうゆう人は、もらった薬について、「えらいお医者様がくれたんだから」とか、「TV広告で有名な会社が作ったものだから」と、なんとなく続けている。また、「薬が効いてるかどうかとか検査値や病気のことは難しくてわからん。医者様のいうとおりやるしかない。」と言って、自分で検証せず思考停止している。
こういう人は、診察時は「黙って座れば、コンピュータを用いた診断やMRIなどの検査ですべてわかる。」と信じることにしている。また、「医師はコンピューターから間違いのない診断をし、間違いない処方ができ、薬さえ飲めばすべて解決するはず。」と思うことにしている。医師が説明していても、「どうせ難しい話だから分からない。」と思うことにしている。そのため、家での自覚症状の微妙な変化や、食事・生活上の変化、飲めなかった薬、飲めない理由など、医療側に伝えるべきことも伝えていない。「伝えないとわからないよ。」と言っても、「聞かれたこと以外しゃべると、信じてないみたいだから言いたくない。」と答える。
こうゆう人ほど、何か問題が生じると、「信じていたのに!」と言うことが多い。
「信じる者は救われる」の、まるで宗教の世界だ。自分に対する責任放棄と言える。
10.自分を信じよう
自分自身を客観的に観察するクセを身につけよう。通常と比べて何かおかしいと思ったら、専門家の力を借りたりしながら、その疑問を追及解明する能力を養い、自分自身への観察力と直感を磨こう。
難しいことはない。料理の味付け、調理と味見みたいなもの、家庭菜園の土づくり、種まき、肥料の選択、水やりと収穫みたいなものと考えればよい。(自宅での料理や家庭菜園が簡単と言っているわけではない。どちらも、人の意見も聞きつつ自分自身で試行錯誤し、決断実行ているということ。)
「所詮、薬なんて体が治ろうとするのを助けることしかできない。」と本当に理解できると、薬に頼るのではなく、薬を利用してやろうという姿勢ができる。
「睡眠剤が無いと眠れない。使っても熟睡できない事が多い。ゆうべようやく眠れた。やっと今の薬が効いたんだ。」と考えるのではなく、「使っても熟睡できない日もあるから、薬は効いてない。しばらく不眠が続いたから、昨日は薬が効いたんではなく、自然に爆睡できるタイミングに薬を飲んだのだろう。」と考える方が自然だ。
「肺炎になったのは、最初からこの抗生物質を使ってなかったからだ。やっぱり風邪には最初から抗生物質がないと不安だ。」と考えるのではなく、「自分でがんばってたから、この抗生物質が効く状況に持ち込めたんだ。」とか「最初に、自己判断で無理に熱を下げ、咳を止め、休息せずに遊びまわったから、抗生物質が必要な状況に陥ったのかもしれない。」と考える方が、次につながる。
医療や薬は不確実なものと認識したうえで、自分の病気や薬を意識し常に検証する姿勢を持つことで、より適切な薬や治療が自分で選択できるようになる。「この薬を使ったことで、期待と反対に、体が治るのを邪魔したかもしれない。」と、常に意識していることが大切。このように考えていれば、薬に依存することはない。そして、自分なりの考え方ができるようになる。
ただし、独善に陥らないような注意が必要。薬剤師や医師のアドバイスを利用しつつ、うまく薬とつきあっていこう。